JK娘の弁当を作り続けてきましたが、12月をもって無事にそのお勤めを終了しました。
高3の娘は、年明けから半日授業に切り替わるとかで弁当はもう必要ないそうです。
「ラスト弁当まであと〇〇日やよ」と、やたらあおってくるので乗せられてついついキャラ弁など作ってみたりして最後の日まで楽しませていただきました。娘はどうやら私に『今日から俺は!!』の今井さんのキャラ弁を作らせようと誘導しているようでしたが、さすがにそこまで高度な細工は近頃目の薄なった私には無理というものです。
で、こんな感じです↓
この私、異常なまでに弁当箱に執着しています。自分の学生時代の弁当に対するトラウマから見た目重視、ちょっと変わった弁当箱を見つけると買わずにはいられないのです。
旦那が言います「おめ~ダラんね~か? 弁当箱ばっか買うて。何個買うたら気い済むげんて」 ん~、確かに「ダラんね~か」と言われれば「ダラんねぇ」とは言えん気がします。
まかない婦(姉)のブログに時々出てくる先代まかない婦(ばあちゃん)がその昔我々三姉弟の弁当を作ってくれていました。母は今も健在ですが、母の作った弁当は一度も食べたことがありません。忙しい母に代わってばあちゃんがずっと作ってくれていました。
ばあちゃんの弁当は最高に旨かった。見た目は最悪でしたけどね。弁当の中身はほぼ茶色一色で、おかずの煮汁がごはんに流れ込んでご飯も茶色です。本に似せたブック型の弁当箱を立ててカバンに突っ込むので汁が教科書にまでしみ込んで異臭を放っていたものです。
おかずは、最高で二品。だいたいが一品でした。おかずが全部『ミートボール』だった日は、絶対に誰にも見られるもんかと異常行動をとったために逆に不審がられバレてしまい、こざかしい男子達から「ミートボールってなぜ丸いんでしょうね~」と言われ続けたことは今でも忘れられません。
八百屋の娘のお弁当には生野菜やフルーツが入っていたことは一度たりともありませんでした。
友達の弁当はというと野菜やフルーツが入ったカラフルなもので、それがとっても羨ましかった私はある日ばあちゃんに抗議しました。
「ばあちゃん、みんなのお弁当こんなんじゃないげんて。カラフルで3つも4つもおがず入っとってすんごいキレイに飾り付けられとるげんからねっ」
前の日にばあちゃんに抗議したことなどすっかり忘れて去っていた私は、弁当の蓋を開けた途端、三尺ほど飛び上がりました。
真っ白なご飯の上にきゃら蕗(煮たフキ)で私のフルネームが・・・・・・・。
名字の[カキモト]に名前の頭の[レ]まで入れて改行されていたのであります。
「やぁ らぁ れぇ たぁ」
今では耳に胼胝ができるほど人様に言いまくっている笑い話になってますけどね。
それでも私の弁当は、ばあちゃん的にはかなり進化させた弁当だったらしいです。姉や兄には肉の缶詰そのままを白ご飯と持たせたり、姉の弁当がバナナひと房の日もあったらしいです。あんたゴリラか。
あ~、ばあちゃんの作る日本酒が酔っ払うほど入ったとっろとろの玉子巻き、
もういっぺん食べたいなぁ・・